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9月, 2011の投稿を表示しています

ペインクリニック

左上腕が痛みだしてからかれこれ4ヶ月ほどたった。整形外科医のお見立ては頚椎椎間板ヘルニアという病名であったが、とくに治療は必要ない、と病院から放り出された。しかし腕を上げる角度によっては、いまだにうずくまるほどの激痛が走る。クライミングレッスンも3ヶ月ほど参加できてなくて、なんとなく寂しい気分になってくるから、余計につらい。ただ、こういう状態のまま、うだうだいうててもラチがあかんので、そろそろやったらできるんか、それともまったく無理なんか、クライミングジムへ自分の体を検証しにいく。
ひさしぶりに壁をテキトウにタテヨコ動いてみると、意外と痛みがない。でも、遠いホールドへ手を伸ばすと、方向によってはやっぱり痛い。まあ、もともと難易度の高い課題はできてなかったので、とにかく壁にへばりつけるだけでよしとする。
それにしても、となりにいてた7、8歳の小学生坊主がつぎつぎに課題をこなしていくのを見てると、おっさんはやる気がなくなってくる。おっちゃんなあ、腕が痛いからでけへんねんで、といいわけしたくなるやんか。子供っちゅうのは、人間よりサルにちかいんか‥。

比良山系(釈迦岳)をちょこっと縦走

JR湖西線北小松駅から標高1060mの釈迦岳を目指す。登山道に入ってから楊梅の滝展望〜涼峠〜ヤケ山〜ヤケオ山〜釈迦岳という縦走ルート。琵琶湖の標高は80mほどやそうですから、まともに1000mの登りですわ。のっけからイヤっちゅうほどのアップダウンの繰り返しに、つれあいは汗だくでかなり疲れた様子。でも、視界のひらけた尾根道に出ると琵琶湖や鈴鹿山系の素晴らしい眺めが一望できて、疲れもふっ飛んだ、ような気になります(笑)。尾根道はところどころ、鈍ったナイフリッジ状になってるところもあるけれど、かなり快適(積雪期はキビシイやろな)。だだ、トンボとハエが大発生しとりました。トンボはエエけどハエがなあ‥。



きょうの縦走の終点は展望と人の気配のまったくない釈迦岳山頂。ここで昼飯。メニューはおにぎりと素インスタントラーメン。あと、食後のコーヒー。山の必需品ですな、プリムス153ウルトラバーナー。家のコンロより早く湯が沸くような気がする‥。






















午後からは釈迦岳山頂からJR比良駅に向かう下山ルートへ。途中、廃止されたリフトの施設やらシャクナゲの群生地(咲いてないけど)を抜けて、とにかくだらだら下ります。単調でかなり退屈してるといきなり轟音とともに沢が出現。神爾谷という比良川の源流のひとつやそうです。水量も多くてなかなかの清流。つれあいは感激して顔を洗ってますわ。水辺には小さな花がいろいろと咲いてて、なんかエエとこでした。所要時間5時間30分。

けっこうダサい

午前中は淀川河川敷でソフトボールの練習。じつは、誘われるままにやってるけど、ソフトボールってカッコいいスポーツとは思ってませんねん。男子も実業団リーグがあるんやけど、おまえらなんで野球せえへんねん!無理してヘンな下手投げせんでもエエやん!って感じですわ。まあ、始めてしもたからしょうがないんですけどね。
昼からはウォーキング。ガロート珈琲まで歩いて往復してきました。知らんかったんですが、天王寺バイパスって歩道があるんですな。25号線の天王寺のコーナンのまえに階段があって、バイパスの途中に出れますねん。きょうは南から北へ線路を跨ぎましたが、なかなか眺めがよかったです。渡ったらヨシミスポーツもあるしね。
帰りに立ち寄った高島屋の地下で剣先イカが安かったんで晩飯はイカフェに挑戦。味付けはコチュジャン、味噌、酢、ごま油、砂糖で量はテキトーですわ。具はキュウリ、大根、菊菜、梨。今回はネギを入れんと黄ニラにしました。ちょっとオシャレでしょ。松の実と糸唐辛子をぱらぱらと。秋らしいメニューになりましたな。

A Short History of America

高校生のとき、土居まさるのTVジョッキーという番組で福田一郎が「フリッツ・ザ・キャット」というアニメ映画を紹介してたんです(主人公はネコです)。当時、このアニメはあからさまにセックスを扱っていたのでアメリカでは成人指定を受けたことが話題になってました(日本でも公開されたんやろか?)。もちろんこのときは原作者であるロバート・クラムの名前は知らなかったのですが、よくよくまわりを見渡せば彼のイラストはあちこちにあって(ジャニス・ジョプリンのレコジャケのイラストとか)マネシのゴンボもようけいてるやないですか。以来、ずっと気になる人であるワケです。
95年製作のドキュメンタリー映画「クラム」ではクラムに多大な影響を与えた兄のチャールズが登場。子供ころは二人でマンガを描いていて、アニキもとにかく絵が上手いんやけど、ホンマもんのプシコ(のちに自殺)。まあ、みてたら気分の悪なる人もおるやろね。彼らの姉妹はかたくなに出演を拒んだというのも、うなずける内容ですわ。


SPレコードのコレクターでもあるクラムのコレクションから編集されたCD「Hot Women: Women Singers From The Torrid Regions Of The World」。なかなかエエですよ、ちょっと怖い曲もありますけど(笑)。

漂い沈む

NHKのBSで「作家 開高健の世界・巨大オヒョウを食らう~アラスカ・ベーリング海」という番組をやっていた。あの「オーパ、オーパ!」の回想ドキュメンタリーである。この釣行に料理人として同行していた辻調理師専門学校の谷口博之氏が30年ぶりに現地を訪れ、当時をふりかえり、ふたたびでっかいオヒョウをさばく、という内容。
ちょうど30年前、ぼくも辻調に在学していて、任務?を終えて帰国したばかりの谷口先生の授業を何回か受けた。授業のまえに、タタミ一畳もあるオヒョウを下ろしてきました、と開高健と谷口先生が荒れ狂う海で魚と格闘する特異な体験談を聞かされ、なにやら気持ちが高ぶった記憶がある。しかし番組をみると、気まぐれに作家が料理人を連れてフラリと出かけたという風情ではなく、「オーパ!」シリーズはかなり金のかかった大がかりな企画だったことがわかった。スタッフは総勢15人もいて、谷口先生はそのまかないに調理器具やら食材を数トンも持ち込んだらしい。
番組中に挿入される開高の一文も、まさに手慣れた職人的といえるもので、ぎりぎり鼻につくかつかないか、というきわどさ。このころの開高は、どんどんエレガントになっていく自分の作風にいき詰まっていたそうで、そういえば井伏鱒二にその思いを吐露して、どうしたら書けるのか、教えを請う対談番組をみたように思う。井伏鱒二の、とにかく書けばいいんだ、というワケのわからん返答がおかしかったけど。

開高健訳の大事な一冊。

秋の日のヴィオロンの〜

あたらしく仕入れたカメラの試し撮りに、近所をぶらつく。まあ、試し撮りも本番もないんですけどね。まずは新なにわ筋から大浪橋を渡り大正区へ。植物が繁りまくる千島の古い家を撮影。いまはブドウの勢いがスゴくて、家のまえの電線にまで盛大にカラミついてますわ。ザクロもようけなってました。ついでに?千島団地の裏手にあるバッティングセンターで1000円がん(75球)打撃練習。きょうは無謀にも変化球に挑戦したんですが、手も足もでません‥。

エレクトリックなグレープ。


進路を東にとり、木津川を43号線下の歩道でパスして西成区に侵入。橋の上から眺めると木津川の両岸も空き地だらけですわ。工場やら倉庫がどんどんなくなって、かわりになにかが建つワケでもなく、ロンサムな風景がこれからも増殖していくんでしょうな。2両で走る南海電車が寂しさに花を添えてます。

手前の空き地になにがあったんか、思い出せん‥。

43号線から北へ折れて、こんどは浪速区へ。芦原橋の駅前で太鼓屋や痩せこけてあまりにも不憫な野良猫一家を見学して折口信夫生誕の地、敷津にある大国主神社(敷津松之宮)の木津勘助像前に到着(ややこしいな)。この木津勘助という人、浪曲や河内音頭のネタによう出てきます。豊臣、徳川時代の土建屋やったそうですが、寛永の飢饉のときに大坂城の備蓄米倉庫を急襲して、いまの浪速区から大正区へ島流しになったらしいです。歩いても30分ほどのとこへ島流し、ちゅうのもようわかりませんけどね。

大国町の駅前にこんなモンがあるの、だれも知らんやろな。


大国主神社のネコ。伸びてます。

完全なparfait

台風の接近でどこへもいけず、朝からテレビで大リーグ中継など観戦。フィリーズはようけお客さんが来てますな。監督は元近鉄のマニエルですわ。やっぱりそこそこチームが強くないとお客も来ないんでしょうね、アメリカでは。マリナーズの試合なんかかわいそうなくらいお客が入ってませんもん。

むこうの人はミッシェル・ポルナレフ。

一日テレビにへばりついてるのもなんですから、豪雨のなか、歩いて心斎橋へ。パリでの創業が1682年というダロワイヨのカフェで一服。この一族、もとはベルサイユ宮殿の給食担当やったそうで、革命後は商売の活路をブルジョアに見いだしたというから、ちょっとイヤらしい感じですな。桃とベリーのパフェを注文。おフランスのモンにかぶれて入れ込む気はさらさらないんやけど、旨いです(笑)。もちろんうしろめたいお値段やけどね‥。

ハードなソフト

本日はバイト先の会社の結成まもないソフトボール部の練習日。20代から50代(自分)まで、7人が集合。いままでは河川敷のすみっこやバッティングセンターでホソボソとトレーニングしていたが、きょう、はじめてちゃんとしたグランドに立つ。場所は生駒山脈がけっこう近い東巽緑地(生野区)。しかし、朝からかんかん照りで気温はぐんぐん上昇。9月やというのにちょっと動いただけで汗だくになる。意気込んではじめたノックも30分ほどで、もうカンニンしてぇな〜と脱落者が続出。あとは、だらだらやってんと体が持たん、ってことで気の抜けた練習に終始する。

広いから、ボールをうしろにそらすとえらいメにあう。

上腕の痛みはあいかわらずで、クライミング、スイミングは無期限休止状態。なんとかできるのがソフトボールで、それも体の動きにたいそう制約がある。バッティングは30%ほどのスイングしかできないので、ジャストミートしてもレフトフライが関の山。守備も逆シングルは無理。ボールの正面にまで回り込めなかったら、すべてヒットにしてしまうという体たらく。もう、一生こんなんやろか‥。

繁盛してるのが問題

またまたパソコンがぶっ壊れて、しばらくごぶさたしておりました。この一週間、アップルストアの修理カウンターで5時間待たされたり(いったん家に帰った)ソフトボール部の練習でバッティングセンターにいったり、赤目四十八滝の見物にいったり(ばりばりの観光地やとは知らなんだ‥)道の駅へ野菜の買い出しにいったり、まだまだ暑いのでテキトーにやり過ごしてました。

ネズミーランド

かつて趣味でハムスターを繁殖させていたことがあった。いっときは十数匹のネズミが家にいて、ケージの掃除や餌やりに明け暮れていたが、それはそれで楽しい毎日だった(笑)。200gにも満たない小動物のくせに、それぞれに性格があって、アツかましいのやら、おっとりしたのやら、デンと構えてるのやら、十匹十色なのがおかしかった。でも、よう生きても2年ほどの命なんよね。人間から見ればそれは短いけれど、ヤツらの心臓は一分間に500回も打つらしいから、妥当な寿命なんやね。でも、どうやってハムスターの脈を計ったんやろ‥。

オスは夏になるとタマを膨張させて、そこに座ることができます。

The Same Love That Made Me Laugh

ルイジアナついでにIrma Thomasで一発。70にしてこのソウル。文句なしに揺れてる。

Emptyな風景

昭和山に登頂してから、大正区の木津川沿いを散歩。千本松の渡しに乗って、こんどは西成区の木津川沿いを歩く。いつもの見慣れた空っぽの世界。このごろ体調がよくなくて、きょうもたいそう疲れたので、帰りは木津川駅から南海電車に乗ることにした。が、駅のホームはモスキート地獄。線路は草ぼうぼうで、駅舎はぼろぼろ。これじゃあ、まるでルイジアナの湿地帯やんか(いったことないけど‥)。いくら無人駅とはいえ、南海のあまりのやる気のナサに、ひょっとしたらわざと?なんて疑念がわく。ロンサムステーションと銘打って、駅前のバラックの飲み屋でイナタいザディコとかかかってたら‥、だれもいかんやろな。

すっかり様子がかわったままの木津川駅前。


きょうの木津川駅(笑)。夕陽を浴びていっそうロンサムですわ。


電車は1時間に2本。それでも車内はすかすか‥。

台風一過の曇天

こんどの台風は、ようけ雨が降りましたなあ。昨晩は大阪でもエゲツなかったです。きょうは雨のなか、河川はどないなってるんやろか、と大和川の様子を見にいってきました。もちろん自転車で。よう台風のときに、海岸や川に見物にいって高潮や濁流にのみ込まれる人がいてますけど、その気持ち、わからんことはないですわ。自然のエネルギーを体感したいというのは人間の本能なんかもしれませんな。滝を眺めてても退屈しませんもんね。

子どものころ、家の近所に西除川というドブ川が流れてましてん。水量はたいしてなくて、いつも異臭を放つ汚い川でした。ところが、大雨の翌日などは狭い川幅いっぱいに濁流が押し寄せてきて、上流からフナやコイが大量に流れてくるんですわ。国鉄浅香駅の裏手の河原では網を投げる人や、たも網で器用に魚をすくう人もいて、堤防の上からその様子を大勢の人が眺めてました。いつぞやは、たも網で5、60cmもあるコイをすくった人がいて、まわりには人垣ができてる(笑)。その人は獲ったコイを、こないだ子どもができた人にあげる、というてましたけど、その意味がわかったんは大人になってからでした。しかし、西除川の魚はよう喰わんわ‥。

まえに描いた向こう岸の工場がなくなってる‥。

スズキのグリル ローズマリー風味

大阪湾で獲れたスズキがスーパーで198円!ウロコひいてエラ、内臓を取り、塩、コショウしてオリーブ油をまぶす。ベランダにはえてるローズマリーをむしってきて腹に詰め、レモン(国産)の輪切りを皮目にならべて200℃のオーブンで25分ほど。イタリア料理屋で喰ったら2000円ってとこですか。ヘタしたら3000円かも。

ギャラリーパライソ誕生秘話(笑)

早いもんですねー、パライソ始めて21年ですか…。
途中、閉めてたときもありましたけど、原田さんが引き継いで9年、うーん、このままダラダラやっていけたらいいですね。いやバリバリでもいいんですけど。パライソ始めるちょっと前にメキシコにいったんです。88年ごろかなあ。そのときサンミゲル・デ・アジェンデという田舎町で、ある家の壁にタイルが埋め込まれてるのを見つけましてねえ。そのタイルには「el paraiso」と書いてある。ちょっと気になりました、「天国」でしょ、まあ宗教関係かなあ。で日本に帰ってからパライソという屋号の店をなんかやりたいと思うようになって、ずっと考えてたんです。でも当時は楽天食堂やってましたから、手が足りなくて…。それで無人でできる商売ないかなあ、って。道端で野菜置いて缶カンに100円玉入れてもらうような、そんなん。で、それやったらギャラリーやんか!って突然気がついて楽天食堂の2階にパライソ作ったんです。(中略)しょうもない話ですけどパライソ誕生秘話、ということで。(談)